木造本瓦葺きで、二層二階の建物。一階には天守には珍しい囲炉裏が切ってあり、籠城(ろうじょう)時の城主の居室になる装束の間も設けられています。二階には、城の守護神を祭る御社壇も現存。古い木組み構造の中に残る、手斧(ちょうな)と槍鉋(やりがんな)の跡が見事です。
天和3(1683)年、当時の城主だった水谷勝宗(みずのやかつむね)が城の修築にあたって勧請した御社壇(ごしゃだん)。藩の守護として三振の宝剣の他に天照皇大神や羽黒大権現など10の神々を安置し、安康を祈りました。
敵に囲まれて城に立てこもる際、城主一家の居室になった部屋。床下に石を入れて隙間をなくし、忍者でも侵入できないように工夫されています。
長さ一間(約180cm)、幅三尺(約90cm)の囲炉裏は、籠城(ろうじょう)時に城主の食事の準備や暖房に使われたといわれます。備中松山城は幾度となく激しい争奪戦の舞台になったため、戦に備えて囲炉裏が備えられました。
正方形の角材の角が外側に向けて並べられた連子窓(れんじまど)。外からは城内が見えにくく、内からは広角に敵兵の動きを見ることができる窓です。別名は武者窓。