備中松山城は曲輪の配置は、本丸・二の丸・厩曲輪・三の丸と連なり、連郭式の山城となっています。そのなかでも二の丸はもっとも広い曲輪です。二の丸の入口部分には、二の櫓門があったとされ、その礎石なども残っており、礎石には柱の痕跡も残されています。
三の丸には、上番所跡や足軽番所跡の四角形の石列が残っており、番所の大きさをうかがい知ることができます。大手門の上部に位置し、大手門を見下ろすことができます。大手門に侵入した敵をこの三の丸から攻撃できるように配置されているものと考えることができます。
かつては食事を準備していた御膳棚(ごぜんだな)。このあたりは3m以下の石垣が続き、比較的低い石垣が見られます。
厩曲輪(うまやぐるわ)は荷馬をつないでいた場所で、現在でいえば駐車場に相当します。また、曲輪の奥には、岩盤から石を切り出した跡が残っており、山中でありながら多くの石を調達できたことが伺えます。
永年の風雪に耐えて現存する土塀です。弓を射るための四角い矢狭間(はざま)と、鉄砲を撃つ丸い筒狭間があります。平成9(1997)年に他の土塀を復元する際の見本となりました。
城への入り口に当たる、櫓(やぐら)門形式の門です。両脇の櫓台の上に建物を建て、その下部に門が設けられています。門の前面にはモミジがあり、春の新緑、秋の紅葉が楽しめます。
天然の巨岩を石垣の一部にうまく取り込んだもので、備中松山城の最大の特徴です。臥牛山全体が硬い花崗岩(かこうがん)質であり、天守や二重櫓(やぐら)の基礎にもその岩盤が生かされています。10mを超える岩盤と石垣群は雄大で、秋には紅葉と共に追手門の景観を彩ります。
かつて御根小屋(山麓の館)と天守の伝達手段として使われた中太鼓櫓。下太鼓櫓と合わせて2つの中継地点を設け、太鼓の合図で連絡を取り合っていました。当時使用していた太鼓「藤の胴」は八重籬神社に奉納されています。また中太鼓の丸跡からは市内が一望でき、写真撮影にも最適です。