JR備中高梁駅周辺には、国指定の名勝や県指定のふるさと村など、
文化的価値の高い建物が集まっています。
のんびり歩きながら、じっくりと「小京都の町並み」を堪能できます。
格式高い町並みを歩くこと、武士の声が聞こえてくる。
武家屋敷が250mに渡って立ち並び、石火矢町ふるさと村として、岡山県のふるさと村の指定を受けています。路地の両脇には白壁の長屋門や土塀が続き、当時の生活の面影が色濃く残っています。この一角には、2軒の武家屋敷が公開されています。
季節で姿を変える枯山水とサツキの美しい景観。
1605年頃、頼久寺を仮の館としていた小堀遠州が作庭した名園。愛宕山を借景とした蓬莱式枯山水で、絶妙な配置の石組や、大海波を表現するサツキの刈り込みなどが優れた美的景観を示しており、国の名勝に指定されています。
時代に守られてきた、美しい景観を歩く。
高梁川に流れ込む紺屋川は、かつて備中松山城の外堀の役割を果たしていました。河畔には美しい桜と柳の並木道が続き、県下最古の協会・高梁キリスト教会堂や藩校有終館跡など情緒豊かな町並みが広がっており、「日本の道100選」にも選ばれています。春には大勢の観光客でにぎわいます。
平屋の東・西校舎、2階建ての本館が今もそのまま残っています。
2012(平成24)年3月まで現役の木造校舎として国内最古とされていた、旧吹屋小学校(県指定重要文化財)。1873(明治6)年に開校。1899(明治32)年に吹屋尋常高等小学校と改称し、現在の場所に移転、1900(明治33)年、木造平屋建の東校舎・西校舎が落成しました。
映画のロケ地にもなった豪奢な雰囲気を味わって。
1800年頃(享和、文化の頃)小泉銅山とローハ(硫酸鉄)製造を営み、巨大な富を築いた大野呂の庄屋・広兼家の邸宅です。江戸末期に建てられた楼門づくりで、城郭にも劣らない堂々たる石垣は、今もそのままに当時の富豪ぶりをたたえています。
200年余にわたってベンガラの製造・販売を手がけてきた吹屋を代表する豪商。
旧片山家住宅は、弁柄屋としての店構えを残す主屋とともに弁柄製造にかかわる付属屋が立ち並ぶ「近世弁柄商家の典型」と高く評価され、2006(平成18)年12月、国の重要文化財に指定されました。
江戸時代から大正時代まで操業した銅山。
吉岡(吹屋)銅山は、807(大同2)年に発見されたと伝えられ、古書に備中の産物に関する記載があり、吹屋の銅山としての記録は、戦国時代尼子氏と毛利氏の争奪戦以来、17世紀初期(江戸時代初期)一時、成羽藩の支配下にありましたが、1867年まで、江戸幕府の天領で代官の支配下で稼いでいました。
ベンガラは江戸中期(宝永4年、1707年)全国で初めて吹屋で生産されて以来、江戸後期、明治、大正と大いに繁昌を続け、吹屋の町並みの基礎をつくりました。このベンガラ館は、明治の頃のベンガラ工場が当時の姿に復元されたもので、資料館としてベンガラ景気に沸いていたころの吹屋の町の姿や製造工程などを知ることができます。
石造文化が生み出した、優しい石の芸術。
石の風車は最大のもので直径242cm、重さ2tに及ぶにもかかわらず、そよ風程度で回転する、石と風を結びつけたユニークな彫刻作品です。この大小7基の風車が並ぶ芝生広場「風の舞台」は、多くの人々の交流の場として様々なイベントが開催されています。
人々に自信と希望を与える、素晴らしい美術が集結。
岡山県初の町立美術館として1953(昭和28)年に開館して、1994(平成6)年に3回目のリニューアルとなり現在に至っています。成羽川をイメージした流水庭や自然を借景としたコンクリートのモダンな外観は、日本屈指の建築家・安藤忠雄氏の設計によるものです。郷土出身の洋画家・児島虎次郎の絵画や、虎次郎が外遊中に集めた、古代エジプト遺品などのコレクションを展示しています。
遥かな眺めと雲海に出会える山の上の公園。
標高654mの弥高山中腹にキャンプ場、バンガロー村、ロッジ、貸別荘の施設があります。山頂からの眺望は、360度の大パノラマで、吉備高原の山並をはじめ、南は瀬戸内海、北は大山と見渡す景色は壮大。四季折々の自然を満喫することができます。
子どもから大人まで一日中楽しめる珍しい美術館。
全国から寄贈された国内外の漫画、約12万冊を収蔵。名誉館長の漫画家、富永一朗氏の原画や作品の他、「手塚治虫大全集」や「ガロ」の創刊号があります。2階のごろごろ読書室では、自由なスタイルでくつろぎながら読むことができます。